曇った涼しい午後

0号室の旅人

いつの間にか、目の前にあるもの、目の前で起こっていることを、あれはこういうものだ、それはあれだ、という風に、記号の様に判断して受け取る様になっていることに気づく。

多分、それは世の中に生きる大人としてはある程度当然な目線なのではないかと思う。
その様に瞬時に判断しながらものを見たほうが素早く合理的に動ける事が多いのかもしれない。

けれども、本当に各事象がそうなのかというと、そうではない。

全ての物事は永遠の中でたった一度その瞬間にだけ起こっているのであって、ただの記号ではない。
本当は、全てのことが限りなく尊くて奇跡に近いことなのではないかと…。

生まれて一年目の子猫が夏を迎えた時を私は眺めたことがある。

あの時のあの子にとって、一陣の夏風も、雲の動きも、時雨も、小さな羽虫も、何もかもが、キラキラしていた。
全てが独自の命を持って世界を構成していた。

そして今も私の目の前で、全ては変わらずそうである。本当は。

「0号室の旅人」は、当てもなく旅する人。
彼が旅の中で出会うものは、一つ一つが光と闇を内包し、自ら息づいている。

旅人は私の夢の中に住んでいましたが、もう、いつの間にか、
私ではなく彼の方が、存在するものになっている気がしています。

旅人が何者なのか私も知らないけれど、
旅人があの子猫に似た透明な目を持っているのは分かる。

そして、彼が眺めた風景と夢のほんの一部が私を含む私が見ている世界だという気がして来るのは、私が彼よりも希薄だからなのかもしれない。

いつか、私も旅人になりたい。
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「0号室の旅人」について書こうとしていたのですが、最初から脱線していて曲には一切触れるのを忘れてしまった。
また改めて書く、かも。

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